こんにちは!

今朝、テレビを見ていると、500円硬貨の製造工程が紹介されてい
ました。材料を圧延後、数種類のプレス加工工程を経て、製造されま
す。最終工程で出荷検査が行われているのですが、検査は目視で行わ
れているそうです。神経を集中して行うため、15分ごとに交代して
いるのです。

番組中で出演者もお話されていましたが、技術が進歩した今、なぜ重
要な出荷検査が目視なのかという疑問が生じます。番組ではその部分
には、着目していなかったため、なぜそうしているのかという点につ
いてはわからずじまいでした。

最新の画像処理システムを使えば検査できそうに思います。ひょっと
したら、検査員の仕事の確保のためかなとも思いました。もう20年
も前のことですが、ロッキードの工場を見学に行った際、航空機の機
体の穴あけをポンチと電動ドリルで一箇所ずつ行っているのを見て、
なぜ最新の工作機械を使わないのかと質問したことを思い出しました。
帰ってきた答えは、工作機械を導入すれば、作業も早く、安くできる
のだが労働組合の力が強く、導入後余った人を解雇できないため、や
むを得ずこのような作り方をしているとのことでした。

今回の500円玉の件はあくまで私の推測です。まだ人の目の方が確
かだからなのかもしれません。真相をご存知の方がみえましたらぜひ
教えてくださいね。

皆さんは、「ぞうへいきょく」と聞いて、「造幣局」という漢字を連
想されると思います。私は、「造兵局」を真っ先に連想してしまいます。
太平洋戦争の時には、名古屋に兵器を造るための「造兵局」がありま
した。当社の創業者、私の父である伊藤昌年は、ここで教官として働い
ていました。名古屋の造兵局では、いろいろな兵器を造っていたのです
が、その中に”風船爆弾”があったそうです。「ふ号作戦」と名づけら
れていました。

戦争末期に、起死回生の策として爆弾を気球にぶら下げ、偏西風に乗
せて、アメリカ本土まで運び、落下させる作戦でした。直径10メー
トルの球を和紙をこんにゃく糊で張り合わせて作り、中に水素ガスを
充填して作り上げたそうです。奇策ですが、所詮は物不足で困った末
の苦肉の策だったようです。それでも100個ほどが本土に到達しま
した。

この話は、父から直接聞いた話ではありません。父も母も戦前生まれ
で戦争体験者でしたが、ふたりとも息子の私に戦時中のことはほとんど
話してはくれませんでした。よほどつらい体験をしたのではと思って
います。