こんにちは!

今日は、豊梱・事業企画室の奥山コーチのブログからのトラックバックです。以前、私のブログでもご紹介しましたが「鶏口牛後」という言葉についてのお話です。

"鶏口となるも、牛後となることなかれ"

この言葉は「史記」蘇秦伝に登場する言葉で、大きな団体で歯車の一部となって働くよりも小さな団体でもその長となって活躍する方が良いという意味で使われます。寄らば大樹の陰の反意語として使われることもあります。

この言葉は受け取り方によって大きく意味が変わってきてしまいます。大きな団体の長にはなれないので、まあ小さな団体の長を目指そうというネガティブな発想と、大きな団体に属することで安定を求めることより、小さな団体でも、自分の意見が反映されるポジションに就き、活躍しようとするポジティブな発想です。本来の意味は当然後者だと思います。

大学卒業当時は、高度成長時代であり、まだまだ売り手市場で有名企業への就職という選択肢もありました。(ほんとかぁ?)でも、私は父が経営する会社への入社を選択しました。ただ当時から父が社長だからその息子は当然次期社長になれるなんて甘い考えは通用しませんでした。父の傘の下に守られていたことは確かですが、少なくても自分の気持ちの中では、社員の方々に認めていただけるスキルを身につけなくてはいけないんだという思いは強く持っていたつもりです。

現在、社員の皆さんから認められる経営者になっているかと問われたら疑問符がいくつもつくと思います。まだまだ力不足だと思っています。けれどいつかは「山椒は小粒でもピリリと辛い」と胸を張れるようなそんな会社にしたいと願っています。少数精鋭で中身の濃い技能者集団になることが夢なのです。

奥山さんのブログで改めて鶏口牛後という言葉に出会い、気持ちを新たに明日からまた前進です!奥山さん、ありがとうございました。